【なにわ人生道】部活で得たもの③就活 折れた翼
「大学でなぜ体育会にはいるのか?」高校3年間は男子校。大学生になったら“女子のいるテニスサークルもいいな”そんな思いもよぎったが、現実は甘くなかった。高校からのアメフト経験者は、ほぼグランドに拉致され、大学でも続けることになる。その時の先輩の口説き文句は「体育会は就職がいいぞ!」だった。「そんなものか」と思いながら、当時はまったく実感が湧かなかった。とりあえずまた、泥まみれ、汗まみれ、血まみれの生活が始まった。夏合宿は2週間+1週間で2回もあった。炎天下の日吉の山の中での練習は、草の焦げる匂いがし、硫黄島の戦いのように思えた。「アメリカ軍の爆撃がないだけましか!」と思いながら、なんとか生き延びた。そして大学4年の春。“就職活動”とやらが始まった。時はバブル絶頂期。スーツを着たOBが、山の上のグランドまで、ジュースの差し入れを持ってやってきた。「〇〇会社の話を聞きたい人、お食事会やるよ!」そんなお誘いがいくつもあった。「サラリーマンって大変そうだなあ」と思いながら、会社選びが始まった。だが、やりたい仕事も、どの会社がよいかも全くわからなかった。「給料が良くて、仕事がそんなに大変でなくて、安定していて潰れない会社はどこか?」。そんな情報交換が練習後に、繰り広げられた。商社、マスコミ、広告代理店、保険会社。そのあたりが人気だった。
体育会のメリットは、OBがたくさんいるので、希望する業種、会社の人たちとは、確実に会えることだった。特にアメフトはOBの人数が多いので、威力を発揮した。自分は、なんとなくグローバル志向だったので、航空会社か商社を希望した。“カラダも丈夫だし、目もいいし、給料も良さそうなので、サラリーマンよりパイロットがいいかな。“ 何回か面接や試験を受けた後、偉い人との面接になった。
そんな話を母親にしたところ、「パイロットは危険だし、早死にするからやめた方がいいわよ」。また母支配が及びそうになった。しかしその面接を最後に、先方からの音信は途絶えた。面接でウケを狙ったのが、全く刺さらなかったのだ(涙)。
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