【なにわ人生道】支配からの卒業
日吉の高校での部活選び。中学時代の仲の良い友人の勧誘もあって、アメフトのグランドに練習を見に行った。グランドは「まむし谷」という谷底に続く長い階段を下り、そこからまた険しい山道を登ったところにあった。まるで「川口浩探検隊」に出てきそうな、うっそうとした森の中の、けもの道だった。後になって、ここが階段ダッシュや、坂ダッシュの舞台になるとは思いもしなかった。
アメフト部は1学年30~40人。高校で100人以上。大学で120人以上の大所帯であった。昼間は大学生。午後からは高校生が同じグランドで練習していた。防具をつけた大学生はデカくてかっこよかった。笛の音とともに、ぶつかったり、ボールを投げたり、颯爽と練習をしていた。大学生のコーチからは「きみ、いいカラダしてるね。活躍できると思うよ!」と胸を叩かれた。オーストラリア時代、毎日牛肉とオレンジを食べ、腕立て伏せやヒンズースクワットをやっていたことが功を奏した。「モテそうだし、これは自分にぴったりのスポーツかもしれない!」心の中で入部の気持ちが高まった。
当時まだ、親はオーストラリアにいた。「部活でアメフトやるかもしれない。」両親のもとに手紙を書いた。防具代に10万円かかることもしたためた。すぐに母親から返事がきた。「アメフトはケガするし、危険だから、やめたほうがいいのでは。」と書かれていた。小学生の時、「危険だから」と自転車も買ってくれなかった、超コンサバティブな母親だった。小学校までは、習い事からお受験まで母親の言うことを全て聞いてきた。「だがもういいだろう。」自分の中で、なにかが吹っ切れた。
「アメフトはやるよ!」と返事を書いて、ポストに投函した。
※写真は高1のクラスメート、QB岩田の姿も
(左)59和田野 11岩田
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