【なにわ教育道】教育ママの役割
幼少時から取り組んできた、娘ふたりのお受験ロード。原動力は、「嫁の本気の取り組み」だった。バブル女子大生時代、嫁は授業には出ずにバイトに明け暮れていた。あちこちで、キャンペーンガールを掛け持ちし、OL時代よりも稼いでいた。ちなみに、同じ頃、自分はアメフトのグランドで、毎日、傷だらけ、血だらけ、泥だらけになっていた。授業に出ていなかったのは、同じだった。その後、嫁はコネで某大手食品メーカーの社長秘書に。自社のトマトケチャップのCMで、”カ〇メのおねえさん”として、お茶の間にも登場した。OL時代は、自宅通勤だったので、その収入のほとんどを、バック、洋服、化粧品に消費していた。だが、結婚し、出産と同時に、人格が変わった。自身の洋服、バッグなどの予算を削り、娘たちの教育費につぎ込み始めた。よさそうな教材、メソッドを取り寄せ、次々にトライさせた。自らコーチングやカウンセリングも学び、幼児教育にまい進した。家庭内では「教育費は聖域」になっていた。嫁も自分も、親が真面目なサラリーマン家庭だった。「家計を切り詰めてでも、教育費は捻出する」という価値観は同じだったのかもしれない。「いい学校、いい会社に入ると幸せになれるのよ。」自分も母親に、何度となく刷り込まれた。「そういうものなのか。」と思いながら、レールに乗せられていた。周りでは、途中で電車を降りてしまったり、海外に行ったお友達もたくさんいた。
“その幸せはだれのため?” “子どものため?親のため?”おそらく両方だったと思う。「〇〇学校に入った〇〇ちゃんのママ」「〇〇会社に就職した〇〇くんのママ」親戚やママ友から「よかったわね。」「すごいわね。」と言われ、それが母親の社会的評価になる。子供自身も有名校を卒業し、有名企業に所属することで、満たされている人も多い。今まではそれで幸せになれたのかもしれない。だが世の中は、グローバル化、ネット化、働き方改革、上場企業の破綻などが相次ぎ、かつての「幸せの方程式」が成り立たなくなってきている。学校、就職、結婚がゴールではなく、本当の戦いはそこからスタートなのだ。単身赴任で、子育てを丸投げしていた自分が言うのもなんだが、自分の「教育論」では、”子供に助走をつけさせるのは母親。子供がいつ自走するかが、本当の教育の成果となる。” (つづく)
※新婚の時は、嫁が教育ママになるとは思いもしなかった。
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