【なにわ営業道】お受験への道
2003年4月。関西への単身赴任。各地の住宅地を、営業で廻っているうちに、重大な事実に気付いた。それは、日本の住宅地は大きく二分されるという現実である。それを「ケーキエリア)」と「牛丼エリア」と名付けた。「ケーキエリア」では、富裕層のママたちが、自宅近くのケーキ屋さんやカフェでまどろみ、ゆったりした時間が流れている。かたや「牛丼エリア」では、サラリーマンや学生たちが、牛丼をせわしくなく食べている。もちろん、牛丼よりケーキの方が、金額は高いのは言うまでもない。ちなみに、自分の自宅周辺は、近所のケーキ屋がつぶれ、牛丼屋が増えている後者だった。そして、東京には、残してきたふたりの娘たちがいた。(当時7歳と3歳)
「将来どちらのエリアに、娘を住まわせたいか?」やはり出来ることなら「ケーキエリア」である。そのためには、学力教養を身につけさせる『教育』と、「ケーキ・エリア」で生活できるような相手と出会える『環境』が重要である。「教育費」は、娘たちを将来「ケーキ・エリア」に送り込むための「大型投資」であると考えた。
関西で構築した私の「ケーキ理論」とは全く別に、嫁は自身の判断で、娘のお受験に走り出していた。みーちゅーは、小学校1年生にして、「お絵かき」「学習塾」「公文」「作文」と超多忙になった。下の娘のれいれいも3歳になり、みーちゅーと同じ「品川教会付属幼稚園」に入園した。この幼稚園は、港区の白金・高輪地区の在住者が多い、典型的な「ケーキ型」であった。(うちは品川区のはずれ)娘達のお友達は裕福で、教育熱心な家庭が多かった。幼稚園の前には、高級外車がたくさん停まっていた。嫁は、専業主婦ではあるが、幼稚園のママたちとランチをしたり、スポーツクラブに通っているわけではない。OL時代、浪費していた服やバッグへのお金も、子供の教育費につぎ込み始めた。
世間では、「ゆとり教育」で学校5日制となった。みーちゅーは平日は学校+習い事。土曜は学習塾、 日曜は「教会学校」と、フル回転の日々となった。 ゆとり教育のせいで、子供からは「時間的ゆとり」、保護者からは「経済的ゆとり」が奪われていると感じた。なにはともあれ、私の単身赴任中、嫁は2人の娘たちを「ケーキ・エリア」に送り込むべく、女手1つで、子育てに必死に取り組んだのである。
(つづく)
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