【なにわ営業道】いざ、笑いの本場へ!
ということで、嫁と長女みーちゅー(6歳)、
次女れいれい(2歳)を東京の自宅に残し、
私は単身「関西マット界」に殴り込みをかける
こととなった。可愛いさかりの娘たちを置いて。
それはさながら、戦地に送り込まれる日本兵の
心境であった。しかしそれから十数年後、
「ホームがアウェー」と言われるほど、家族が
1VS3の力関係になることは、知る由もなかった。
そしてもう1つの大きな不安は「仕事」だった。
関西に転校した東京の小学生が、標準語で喋ると
『東京弁で喋るな!』となじられ、関西弁で
喋ると、『インチキ関西弁や!』と虐められる
という悲劇を思い起こした。
果たして、「関西人の言葉の壁」「文化の壁」を
乗り越えられるのだろうか。。。。
さらに言うと、「関西」でまず思い浮かんだのは、
「漫才師」と「ナニワ金融道」の世界である。
日常会話が、ボケとツッコミ&えげつない料金交渉
こんな世界に身を置くかと思うと、10年間東京で
スマートなビジネススタイルで通してきた私は、
正直不安だった。ニュースや新聞では、関西発の
「幼児虐待」「誘拐」「殺人」「食肉偽装」などの
物騒な事件が連日報道されていた。引ったくりも
ふつうにあるらしい。
異動の挨拶で、親しいお客さんを回った際には、
「大阪ですか。そりゃまた大変ですね。」
「ご家族は一体どうするんですか?」
みなさん心から驚き、同情し、憐れんで下さった。
「栄転ですな!」と言ってくれるお客さんも、
目は笑っていなかった。
会社の同僚や先輩達も同じように同情してくれた。
関西から東京に転勤で来ている人は多いのだが、
その逆のケースはあまりなかったからである。
送別会の時、以前一緒に仕事をしていた関西出身、
コテコテの関西弁をしゃべる元上司が、貴重な
アドバイスをしてくれた。
「和田野。関西では、商談中スキを見せたらあかん
お客さんがボケたら必ずつっこまなあかんでえ!」
その言葉は私の心に響いた。
「郷に入れば郷に従え」という言葉を思い出し、
これから西に立つ私の心にしっかり刻み込まれた。
(つづく)
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