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【なにわ営業道】いざ単身赴任

2003年3月。突然の「関西」への転勤辞令。
学生時代にアメフトの試合で数回行った程度で、
「大阪」にはまったくなじみがなかった。
言葉や文化も違う。正直外国のような印象だった。
アメフトの試合で、関西人の野次は品がなかった。
「あかんやろ」「しばくぞ」「なんでやねん」。
街にはやくざがたくさんいて、治安も悪そうな
イメージがあった。
そんなところで果たして自分はやっていけるのか?
結婚し、娘もふたり生まれ、マイホームも買って
仕事も順調。そんなタイミングで初めての転勤。
ということで、まずは情報収集に走ることにした。
会社では、地方に家族を置き、単身赴任で逆に
東京で働いている同期にヒアリングしてみた。
「単身赴任ええで!自由やしマイルも貯まるでえ」
彼の発言は前向きだった。
赴任先の家賃はもちろん、月2回の往復の交通費は
会社からでるとのことだった。   
「どうせ平日は帰宅が遅いし、週末に隔週で帰れる
なら、単身赴任も悪くないか。。。。」
家族を連れて行くとなると、住んでいるマンション
をリロケーションしたり、治安の良い所を探したり
学校の手続きをしたり、かなり大変である。
「単身赴任のほうが楽でいいかも。」  
私の気持ちは「単身赴任」にちょっと傾いた。

翌週末、嫁のお父さんと、「転勤」の報告がてら、
一緒にお食事をすることとなった。
「私も昔、単身赴任をしたことがあるが、学君
まだ若いから大丈夫でしょう!」
お父さんの話は、気のせいか暗に私の単身赴任を
促しているようにも聞こえた。
「せっかく娘と孫娘たちのすぐ近くに住んでいる
んだから、大阪には行ってほしくわないわよ。」    
後になって、嫁もその事実を認めていた。
私がお父さんの立場でも、そう思ったであろう。
流れは、「単身赴任」に一本化されつつあった。
そして数日後、私は嫁に尋ねた。
「大阪についてくる?それとも東京に残る?」  

「東京に残るわ!」 嫁のさっらとした一言で、
私の「単身赴任」は決まった。   (つづく)

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