【なにわ人生道】部活で得たもの①免疫力
母親の心配していたアメフトでの怪我。高校大学社会人の12年間で、果たしてどうだったのか?結論から言うと、後遺症になるような大きなケガはなかった。指は3本変形したが、それぐらいだ。流血、打撲、首痛は日常茶飯事だったが、それは、マキロン、サロメチールを塗りたくって気合で治した。小学校時代、母親に「廻し飲みと、地面に落ちたものを食べてはいけません!」と厳しく言われていたにもかかわらず、練習中は汚い泥まみれの水を廻し飲みした。だがそれにより、免疫力は明らかに高まった。小さい頃は、よく熱を出していたが、高校になってからは、インフルエンザにかかった記憶もない。ちょっとしたケガや病気で、病院に行こうものなら、「おまえ、気安い!」と大学生コーチに怒られた。学生時代のアメフト部では、「遅刻、忘れ物は坊主。仕事のそそうは廻し」という掟があった。集合時間に1分でも遅刻したら、そのまま床屋に直行。ヘルメット、試合ジャージ、ソックスを忘れても即坊主。練習用のボールをなくしたり、用具などの準備ができないと、1年がグランドをずっと回らされた。いわゆる連帯責任である。坊主だけにはなりたくなかったので、学生時代の7年間で、遅刻と忘れ物は1回もしなかった。それにより、体内時計が鍛えられ、目覚まし無しでも、起きたい時間に目が覚めるようになった。リクルート時代、毎週月曜日は4時半起きで、6時代の始発の飛行機に乗る日々だったが、1回も乗り過ごすことはなかった。もちろん隣では嫁が熟睡していた。
しかし、いまだに練習に遅刻をしたり、試合にヘルメットや試合ジャージを忘れる夢をみることがある。夢の中で、青ざめている自分がいた。だがいま思えば、全てが自分の人生の役に立っている気がする。(つづく)
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